前回では古い文献に登場する日本三古湯について学びました。
このレッスンでも引き続き温泉の歴史について学習を進めますが、
今回は「文学」に焦点を当て、温泉の発展や歴史を振り返っていきましょう。
文学から見る温泉の歴史
日本の文学は温泉との関わりが深く、
温泉で書き上げられた小説や温泉地が登場する作品などが、
数多く残されています。
それはやはり、温泉大国である日本ならではなのかもしれません。
ここでは、温泉とゆかりのある作家と作品を見ていきましょう。

「小天(おあま)温泉」×「草枕」
前回のレッスンで日本三古湯について学んだとき、
道後温泉が夏目漱石ゆかりの地であることを学びました。
小天温泉は、夏目漱石の小説「草枕」で「那古井温泉」として登場する温泉地で、
熊本市にあります。
漱石は明治29年に、熊本に英語教師として赴任しました。
赴任中、この小天温泉に逗留したとされています。
静かな温泉で漱石は、
仕事や家庭の煩わしさから解き放たれたようです。
小天温泉の発見は明治初期とされ、当時は5-6軒の温泉宿があったとされていますが、
夏目漱石が滞在した「前田家別邸」は今はもうありません。
小説から名前を取った「那古井館」が営業しています。
今でも夏目漱石ゆかりの地として、
漱石ファンがたびたび訪れるということです。
「越後湯沢温泉」×「雪国」
小説「雪国」を知らない人はいないでしょう。
雪国は、ノーベル賞作家である川端康成が書き上げた、
国内に留まらず、世界で評価の高い小説です。
川端康成は温泉をこよなく愛したことで知られ、
小説のためではなく、温泉のために小説を書きあげたのではないか思えるほどです。
その「雪国」の舞台が、越後湯沢温泉。
越後湯沢温泉は、平安末期に発見されたとされていますが、
温泉地として賑わいを見せるのは、昭和6年の上越線開通後になります。
川端康成は、昭和9年から12年に「雪国の宿 高半」に滞在し、
雪国を執筆しました。
この旅館は建て直されましたが、川端康成が滞在した「かすみの間」は、
当時のまま保存され、公開されています。
川端が気に入っていた部屋の窓からは、
美しい山々が一望できたのだとか。
そして、長時間の執筆による体の痛みを、
温泉で長湯することで癒したということです。
「雪国」は島村と芸者・駒子の悲恋を美しい文章で書き上げた物語。
機会があれば川端康成の足跡をたどりつつ、
温泉に浸かりながら文学に親しんでみると良いでしょう。
「城崎(きのさき)温泉」×「城崎にて」
志賀直哉の心境小説「城の崎にて」の舞台となったのは、城崎温泉。
志賀直哉は友人と散歩中、誤って山手線にはねられて重症を負い、
その療養のために訪れたのが城崎温泉でした。
この地で志賀直哉は、事故で急死に一生を得た自らの体験から、
生と死について深く考えながら執筆したとされています。
城崎温泉は、江戸時代の温泉番付で「西の関脇」に輝いた温泉で、
大正時代に内湯が造られる前は、全て外湯だったことで知られています。
志賀直哉が滞在したのは「三木屋」という温泉旅館ですが、
城崎温泉が大変気に入ったようで、
その後も度々この旅館を訪れたということです。

温泉が関係する文学は他にも多数ありますので、
名作の誕生は、名湯ありきなのかもしれません。
万葉集
万葉集は、現存する最古の歌集です。
万葉集の中に綴られている歌には、
温泉地で詠まれたものや関連のあるものが
しばしば登場します。
前回のレッスンでは白浜温泉のところで有間皇子の歌を学びましたが、
ここではその他の歌も見ていきましょう。
湯河原温泉
足柄(あしかり)の 土肥(とひ)の河内(かふち)に
出づる湯の よにもたよらに 子ろが言はなくに
「土肥」は湯河原一帯の古名ですので、
これは湯河原温泉にまつわる歌です。
この歌は、男性が好きな女性のことを想う気持ちを詠んだもの。
女性が温泉の湯のように他の男性に揺らいでしまうのではないかと、
不安に思っている気持ちを表しています。
湯河原温泉は、洪水の度に湧き出る場所が変わってしまう温泉でしたが、
女性の気持ちのうつろいやすさをそのような状況にたとえたのでしょう。
ちなみに湯河原温泉は、江戸の温泉番付では東の前頭(4位)にランクイン。
明治以降は夏目漱石はじめ、島崎藤村や芥川龍之介なども逗留したことで
知られています。
二日市(ふつかいち)温泉
湯の原に 鳴く明日鶴(あしたづ)は 吾(あ)がごとく
妹(いも)に恋ふれや 時わかず鳴く
これは太宰師(だざいのそち)である大伴旅人が、
二日市温泉(福岡県筑紫野市)で詠んだ歌です。
二日市温泉は当時、吹田(すきた)温泉と呼ばれていました。
「妹」は愛する女性、つまり妻を指しますが、
大伴旅人はこの歌を詠んだときには、愛する妻を亡くしていました。
大伴旅人が吹田温泉に宿泊したとき、鶴が悲しそうに鳴くのを聞きます。
それであの鶴も、自分のように妻を偲んで泣いているのだろうと、
自分の心情を鶴の鳴き声に重ね合わせて詠んだ歌なのです。
二日市温泉は奈良時代から開湯していると言われていますが、
温泉観光地として発展をしたのは、明治に入り九州鉄道が開通されてから。
「二日市温泉」と呼ばれるようになったのは、昭和に入ってからのことです。
読んだことがある小説や、知っている歌もあったのではないでしょうか。
特に古湯などは、温泉の伝説や歴史、
これまで訪れた人々について学んでから訪れると、
より温泉の深みを感じることができます。
次のレッスンでは、「武将」と「江戸時代」に焦点を当て、
温泉の歴史についての学習をさらに進めます。